NIGHT OF FIRE




初めて彼に触れたとき、その熱さにドキリとした。










 チリチリと焼け付くような空気がまだ漂っている。
 まだバトルの時のテンションが抜けきってないようだった。
(今日も勝ったんだよな…)
 せわ忙しなく動き回るメカニック達とすれ違いながら、拓海はホッと息を吐いた。
 今回の遠征もこれで終わった。あとは撤収するだけだ。
 勝利に対する嬉しさよりも、緊張とプレッシャー重圧感から解放された安堵の方が大きい。
 一人で走ってバトルするだけなら、こんな息苦しさは感じなかった。
今は違う。プロジェクトDのダウンヒルエースとして走る以上、敗北は許されない。チームを支えてきた全員の夢を裏切る事になるからだ。
 ――これは俺のゲームだから。
あのひとはそんなことを言ってたけど。
ただ一人のものにしてはあまりにも壮大で、多くの人を巻き込んで展開されていく《ゲーム》は、関わる者見る者を魅了して夢中にさせている。
真剣な表情で、けれどもどこか楽しそうに作業する整備班のメカニック。
チーム内の活動をサポートするように細々と動き回る事務スタッフ。
みんなあのひとの思い描く夢に魅せられている。
プロジェクトのリーダーでもある、あのひとの。
 その夢の中に自分と彼もいるのだと思いながら、拓海はふと、その彼の姿を無意識に探した。
(…あ、)
 一瞬だけ視線が合う。
 挑むような強い輝きをもった目に捕らわれ、チリ、と胸の奥がざわついた。
(啓介さん…)
 同じチームのドライバー同士なのに、会話らしい会話は殆どした事もない。
 自分から必要以上に話し掛ける事もなければ、本人の前で名前を呼んだ事すらなかった。
 それなのに。
 ――本心は走るのが好きに決まってんだよ!!   
 思い出す彼の言葉はどれも心に深く突き刺さる。
 あの時の怒ったような表情も。
 一緒にやろう、と言われた時の不敵な笑みも。
 どうしてこんなに心が騒ぐのだろう。
 ぼんやりと思考を漂わせながら、拓海はガードレールに寄り掛かって啓介の姿を眺めた。
 啓介は自分の愛機の前で担当メカニックと何か話している。
 夜の闇の中でも鮮やかな存在感を放つイエローのFDは、まるで彼そのものを形にしたみたいだ。
 初めて彼と走った時を思い出す。
 文字通り闇を切り裂くように疾走する彼の後ろを、夢中で追いかけていた。
 飽きるほど走っていた秋名で、あんなにわくわくしたのは初めてだった。
 拓海は今でも、彼の背中を追っている。
 前に秋名で勝ったからといって、それで彼に勝ったとは思わない。
 だって彼にとっては自分なんて通過点のひとつに過ぎないのだ。彼は拓海の知らない、その先にあるもっと大きな世界を見つめている。
 あれから彼の走る姿を何度見ただろうか。
 見る度に速くなっていく。追いかけてくる。
 もうお前には負けねぇよ、と真っ直ぐな視線で挑んでくる。
(…オレだって、)
 この人には絶対に負けたくない、と思う。
 負けないように必死で彼を追いかける。
 どんな相手とバトルしたってこんな気持ちにはならない。ここまで胸がざわついて全身が熱くなる相手は、彼だけだ。
「…藤原?」
 不意に呼ばれて顔を上げる。
 いつの間にか啓介が目の前に立っていた。
「ぼちぼち引き上げるからゴミは拾っとけってさ。…水、飲むか?」
 ヒヤリと額に冷たい感触。
「うわ、いきなりなにするんですかっ!」
 急に意識が現実に引き戻される。
「…お前って、普段はけっこうボーッとしてるんだな。」
 あたふたとミネラルウォーターのペットボトルを受け取る拓海を、どこかあきれたように啓介は見た。
「ホントわかんねーヤツだよな…」
 それをアンタには言われたくない、と拓海は心の中だけで呟いた。
 走っている時間だけが、拓海と啓介の全てだった。
夜の峠を走る姿だけは、誰よりもよく互いに知り尽くしているつもりだった。他の事はあまり知らないし、その必要もないと思っていた。
「はー、今夜も終わったぜー。」
 ごくごくとボトルの水を半分ほど一気に飲むと、啓介は拓海の隣で思い切り腕を伸ばした。ただでさえ長身の背が、伸びるとますます大きく見える。
「なんかまだ頭ン中が熱い気がする…」
「今日もギリギリのバトルでしたからね。」
「それでも勝つのはオレたちだけどな。」
 きっぱりと言い切る啓介の横顔が眩しくて、拓海は少しだけ目を細めた。
 ――アニキの夢のために、オレは走りたい。
(あの時と同じだ。)
 そこにいるだけではっきりと伝わってくる、走る事への情熱。
 この人はいつも変わらない。目標に向かって真っ直ぐに走り続けている。
 彼の強さには敵わないと時折思うけど。
 同じチームのドライバーとして負けたくはない。
「あー…それにしても熱いなー…」
 お前はどうなんだよ?と首を傾げるように啓介がこちらの顔を覗き込む。
「なんかさ、バトルの時ってすげーテンション張り詰めてて、終わってもまだ体が熱かったりとか、そーゆーのってお前はないの?」
「オレ…ですか?」
 少し戸惑いながら拓海は啓介の顔を見た。
 今日の啓介は珍しくよく話し掛けてくる。訊かれた内容よりも、その事自体が拓海の心をチリチリとくすぶ燻らせていた。
 確かに熱を帯びたような啓介の目と視線が絡む。心なしかいつも以上に熱っぽく潤んで見える瞳がすぐ間近にあって、またいっそう身体の奥が温度を上げた気がした。
 バトルの時とは、また違う感覚。
「そういうのって、オレにはよくわからないです…」
「…なんだそりゃ。」
 ホントお前ってわかんねーヤツだなー、とぼやきながら啓介は小さく笑った。
 何の屈託もない笑みは、拓海にとっては初めて見る表情だった。
(この人ってこんな顔もするんだ…)
 啓介の顔をぼんやりと眺めながら、拓海は内心驚いていた。
 どうして彼という存在はこんなに胸をかき乱すのだろう。
 見る度、思い出す度に、息が詰まりそうになるほどドキドキしてくる。
 まだ体が熱いと言いながら、啓介はペットボトルの残りを飲み干していた。
「いつもそんなに熱くなってるんですか?」
「ん、どうだろ…?」
 はー、と大きく息を吐くと、そのまま啓介はズルズルと地面にへたれこんだ。
「なんかだんだん熱いのか寒いのかわかんなくなってきた…」
カラン、と音を立てて空のたペットボトルが手から落ちて転がっていく。
「え…?ちょっと、啓介さん?」
 慌てて肩を掴んで揺さぶる。
 返事のないかわりに身体が小さく震えているのが伝わってくる。
「熱いって、まさか、」
 ふと思い当たって触れてみた額は、普通じゃない体温だった。
「なにやってんですかアンタは!!  」
 思わず叫びながら、拓海は啓介の身体を抱き締めた。
 今までどうやって立っていられたのか不思議に思うくらいの熱だった。
(誰か呼ばなきゃ…そうだ、)
「…涼介さんっ…涼介さん!!  」
 殆ど悲鳴に近い声で、拓海はリーダーでもある啓介の兄の名を呼んでいた。
「あー…、ふじわら…?」
 低く掠れた声が微かに零れる。
「啓介さん…っ!」
「けっこうおまえってあったかいんだなー…」
 啓介の腕が力なく拓海の背に回される。
 その感触に思わずドキリとする。
「…わけのわかんねーこと言わないでください。」
 誤魔化すようにわざと素っ気無く言うと、それでも拓海は更にきつく抱き締める腕に力を込めた。
「藤原!?  どうした!? 」
 尋常じゃない拓海の声を聞きつけてメンバーが集まってくる。少し離れた所からやや遅れて駆けつけたリーダーは、拓海の腕の中で倒れている弟の姿を見るなりさっと顔色を変えた。
「史浩! 1号車を空けられるか? 啓介が倒れたからそっちに乗せる!」
 すぐに指示を飛ばしながら、涼介は真っ青な顔で啓介に駆け寄った。
「おい、啓介っ、しっかりしろ!!  」
「あの…さっきまで普通に話してたら急に倒れちゃって…」
 拓海は抱きかかえていた啓介の身体を涼介に預けた。自分の腕まで震えていた事に、その時初めて気が付いた。
「あー…あれ…? アニキ…?」
「意識は一応あるか。熱は随分出てるみたいだな…」
「寒い…」
「これだけ熱が出てれば当然だ。うち病院に着くまで、もう少し我慢してろ。」
 涼介の声は微かに震えていた。
「1号車、空いたぞ。」
「…分かった。病院まではFDでオレが先導するから1号車はついてきてくれ。他のみんなは撤収作業が終わり次第ここで解散にする。」
 それでも涼介は努めて冷静に最後の指示を出した。
「…藤原、悪いが啓介を運ぶのを手伝ってくれないか。」
「は、はいっ。」
 拓海は慌てて啓介の足を抱えた。
(こんな涼介さんは初めてだ…)
 啓介とは対照的に、兄の涼介は常に沈着冷静であまり感情を表に出さない。
 その彼がここまで動揺している姿は今まで見た事がなかった。
「すまなかったな、藤原にまで心配かけさせて…」
 行きには機材を積んでいたワンボックスの荷台に啓介を寝かせると、涼介はいつもより少しだけ力のない声でそう言った。
「いえ、そんな…」
「あとはオレ達で病院まで連れて行くから、お前も遅くならないうちに帰って休んでくれ。あいつ啓介が風邪だったらお前にうつる可能性もあるしな。」
「…はい。あの、啓介さん…お大事に。」
「ありがとう…後で本人にもちゃんと伝えておくよ。」
 拓海がやっとそれだけ言うと、涼介はそっと頷いた。
 そのまま自分のクルマまで歩きかけて、ふと啓介の方をちらりと見た。
 そんなに体調が悪かったなんて、倒れるまで気付きもしなかった。
 ついさっきまで一緒に走っていたのに。隣に並んで会話さえしていたのに。
 本当に走る事以外には、自分は彼の事を何も知らない。
 振り返った先で目に映ったのは、啓介を抱き締める涼介の姿だった。
「この馬鹿が…」
プロジェクトの活動中にはまず絶対に見せない、兄としての涼介の顔。
兄弟に向けるものにしてはあまりにも切ない表情さえ浮かべて、弟を抱き締める彼の姿なんてきっと誰も知らない。
「何故こんなになるまで気付かなかったんだ…!」
 くったりとしている啓介の身体を抱き締めて、涼介は小さく叫ぶ。
 それは自分自身に向けているようにも聞こえた。
 チリ、と。また胸の奥で何かが燻りだす。
 波立つ感情を抑え切れなくなりそうで、拓海は両手をきつく握り締めた。
 バトルの時とも違う熱さがそこにあった。
(なんなんだよこれ…)
 どうしてこんな気持ちになるのだろう。彼を、あの兄弟を見ていると。
 これではまるで――
「そう…なのか?」
 ふと気付いてしまった感情に、思わず拓海は愕然となった。










 それはまるで恋焦がれているかのように。
 一度知ってしまったら、もう戻れない。










 初めて出会った時からそうだった。
 この人は今まで思いもしなかった自分の一面を暴いて突きつけてくる。
 彼がこんなに心を波立たせる存在なのも、だからなのかもしれない。

 負けたくない、という気持ちだけじゃなくて。
 いつの間にか、そんな彼を好きになっていた。










 翌週には何事もなかったかのように、また県外遠征が行われていた。

「…藤原、」
 不意に呼ばれて顔を上げる。
「啓介さん…体はもういいんですか?」
「ああ。一日寝込んでたら治った。こんな時に倒れてる場合じゃないしな。」
 啓介はどこか照れくさそうに言葉を続ける。
「悪かったな…この間は。お前がオレなんかよりよっぽど死にそうな顔して心配してたって、後で散々アニキに説教されたよ…」
 そこまで言うと、啓介は苦笑しながら「飲む?」と水の入ったペットボトルを差し出した。
 ありがとうございます、と軽く頭を下げてそれを受け取る。
「急に倒れたから、オレ本当にびっくりしましたよ。」
「もうやらねーよ。体調管理もドライバーの仕事だからな。」
 そうして啓介の目が一瞬だけ拓海を捕らえる。
 ドキリと胸が大きく鳴った。
 さっきまでの照れた表情は消え、いつか見た熱に潤む目でもなく、ただ真っ直ぐに見つめる鋭い視線だった。
(この人はいつもこんな目でオレを見てるんだ…)
 そう思うだけで身体が熱くなってくる。
「…啓介さん、」
「わっ、なんだよ…」
 殆ど衝動的に、拓海は啓介に抱き付いた。
 熱をもつまでもなく、自分より高い体温が伝わってくる。
 初めて彼に触れたような気がした。
 触れた身体はいつもの彼そのものの温度で、その熱さに思わずドキリとする。
「…お前そんなにオレのこと心配してたわけ?」
 少し困ったような声と、どこか優しい仕草で髪を撫でる手。
 それだけでこんなにもドキドキさせられる。
「心配…は、しましたけど、それだけじゃないです…」
 顔を上げる。
 彼の視線に負けないように、真っ直ぐにその目を見つめ返す。
 少しだけ背伸びをすれば視線はもっと近くなる。
(もう、戻れないな…)
 ふとそんな思考が頭を掠めるが、不思議と迷いや後悔はなかった。
 背中から首筋に腕を回す。そのまま引き寄せれば唇が触れ合う。
 最初は一瞬、次にはもっと深く、奪うように。
 触れるだけでは足りないとばかりに唇を重ね合わせた。
「…っ、なにするんだよ!!  」
 小さく叫びながら啓介は拓海の身体を突き放す。いきなり信じらんねぇ、とぶつぶつ言いながら腕でごしごしと口元を拭っていた。
「すみません急に…。でも、冗談とかそういうつもりじゃないんで。」
 視線を逸らさないまま拓海は啓介の目を見つめて言った。

「オレ、啓介さんが好きなんです。」










捕捉っぽい感じになってしまった。てゆか書く順番ちげえええorz
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