午睡




 良く晴れた午後は資料室の片隅へ。
 山積みの本の横は、何時の間にかハボックの指定席となっていた。





「お、今日もよく寝てるなー。」
 入口からは上手く死角になっている資料室の奥。
 日当たりも良い窓際は上官のお気に入り場所のひとつなのだと、以前彼の査定を担当した時に知った。同僚とこっそり付けた『観察日記』も、実は未だに自分の部屋にしまってある。
 ロイ・マスタング。東方司令部司令官にして国家錬金術師。地位は大佐。焔の錬金術師の二つ名は軍内部でも結構知られている。東部内乱での戦いぶりなどは司令部内でもちょっとした伝説だ。
 黒髪の下で鋭く光る漆黒の瞳は、流石若くしてのし上がっただけの事はあると思わせる。もっとも、今はその瞳も瞼の中なのだが。
 ごく限られた者しか知らない事だが、人前では決して隙を見せないこの上官は、実は意外と間が抜けている。窓掃除をしたかったのか、いきなりバケツの水を窓にぶち撒けていた時はいっそ感心すら覚えたほどだ。
 与えられた仕事は完璧にこなしている。期限ギリギリでも溜め込むまで手を付けようとしなくても、とにかく結果的には有能な上官ではある。だが、サボり癖があるとか、仕事より女性とのデートを優先するとか、そんな噂も後を絶たない。実際、街の女性達には人気があるようだし、ラブレターだってしょっちゅう届いているようだ。仕事だってよくサボる。
 今だって昼休みも終わっているというのに、こんな所で昼寝などしていたりするのだ。この上官は。
 壁際と本棚の間にきれいに収まって、日溜まりの中で気持ち良さそうに熟睡している。ハボックが髪に触れた程度では身動きすらしない。あまりにも大人しいから本当に呼吸しているのだろうかと、これを見る度にいつも思うのだが、ちゃんと息はしている事は身を持って確認済みである。以来『寝起きの大佐にだけは近づかないようにしよう』と決意したようなしなかったような。
 今頃はホークアイ中尉あたりが探し回っているのだろうか、などと考えてハボックは小さく笑う。この場所を知っているのは多分自分くらいだろう。棚に収まらないまま積み上げられている資料の山。人の出入りは多少あるが、わざわざ奥にまで入ってくる者は普通いない。
(だからって普通こんな所で無防備に寝るかな、この人は。)
 手に触れる黒髪が心地良い。日なたの暖かさを存分に吸収した温度だ。それでさっきからずっと頭を撫でる手を離せないでいるのだが、上官が目を覚ます気配は全くない。緊急警報の音でもならない限り、しばらく熟睡したままだろうと思う。横にいるのが今はハボックだから良いようなものの、もし誰かが刺客でも送り込んできたらどうするのだろうか。ただでさえ軍上層部には彼を敵視する者もいるというのに。
「たいさー。そろそろ起きないと、また中尉に怒られますよー。」
 火の付いていないタバコを口に咥えたまま、ぷにぷにと頬を突付いて呼んでみる。やはり起きる気配はない。
「ったく、ホント気持ち良さそーに寝ちゃって……」
 呆れながらまた髪を撫でる。サラサラと暖かな感触に思わず口元が綻んでしまう。
 眠っている時の表情は驚く程あどけない。普段でもやや童顔気味に見えるのだが、こうしていると幼い子供のようにすら見え、とても自分より年上とは思えないほどだ。
 これで東方司令部の司令官なのだというから笑ってしまう。二十代にして大佐にまでなった焔の錬金術師。東部内乱の功績者。ゆくゆくは大総統の地位を狙っているなんて話は中央にまで聞こえている筈だ。
 けれども、今目の前で眠っているのはそんな人じゃない。
 部下達の見えない所で、この人は何を思い、何を背負って生きてきたのだろうか。ハボックには想像もつかない。ただこの寝顔を見ていると、日頃どれだけ張り詰めていたのかが分かるだけだ。
 何を見つめ、何を成したいと思っているかなんて分からない。でも、放ってもおけない。
 決して弱い人でもないと分かっていても、そう思わせる何かがあるのだ。
 一生この人に付いて行こうと思った。この人が何処まで行くのか見てみたくなった。だから自分は今、彼の部下として東方司令部にいる。
「さて、俺はそろそろ戻りますかね。」
 最後にもう一回だけ髪を撫でると、ゆっくりとハボックは立ち上がった。
 大佐が寝ている間にここに来て、目を覚ます前に仕事に戻る。もし彼が自分に気付いたら、きっと次からは昼寝場所を変えてしまうだろうから。
「あまり中尉が怒らんうちに起きて来てくださいよ、大佐。」
 これしきでは起きないと知りつつも、ぼそりと呟いて額を小突く。気持ち良さそうな寝顔が羨ましいような、どこか微笑ましいような感じがした。
「――あら?ハボック少尉?」
 資料室を出た途端に声をかけられた。ホークアイ中尉だった。
「珍しいわね、貴方がこんな所にいるなんて。」
「ええ、この間の事件で調べたい事があったんで。」
 大佐の寝顔を眺めてました、なんて事は億尾にも出さない。ハボックはもっともらしい理由を挙げて、それじゃあ俺は仕事に戻ります、と敬礼してみせた。
「……そうだわ。ねぇ少尉、この辺りで大佐を見かけなかったかしら?」
 歩き出そうとしたところでまた声がかかる。やっぱり探していましたか、とハボックは苦笑した。
「大佐っすか?」
 考える振りをしながらハボックは答える。
「まーたどこかで昼寝か女でも口説いてるんじゃないですか。」
「本当にどうしようもないんだから。後できちんと仕事はしてもらわないと……」
「はぁ…大変っすね……」
 誰が、とは言わずに歩き去っていく中尉の後姿を見送る。
「大佐ー。怒られるのは自業自得ですからねー。」
 資料室のドアに向かって届かぬ声を送ってみる。こればかりはハボックでも責任に負えない。
「まぁ、ゆっくり休んで、また頑張って仕事してくださいよ?」
 それまでは、あともう少しだけ。
 あの人に暖かで静かな時間があったっていい。
(でも夕方にはきっと中尉に怒られるんだろうなー…)
 自分のデスクへと歩きながら、ハボックはそんな事をぼんやり考えていた。





焔の錬金術師(というおまけ本があってだな…)は非常に萌える逸品だと思います。
どっかで見たようなパターンの話だとか突っ込まれると私が痛いので勘弁して下さい。

(2004年03月07日)

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