その温度が消えない




 優しさなんて、いらない。
 今更そんなものがあっても邪魔なだけだ。

 二人の間には最初から何もなかったのだから。





「さて、試験結果が来るまでだいたい二週間だ。」
 イーストシティの司令部で、ロイは目の前の少年に言った。
「それまではゆっくりしていくといい。長旅で疲れているだろう。」
「……そんな暇、ねぇよ。」
 史上最年少で国家試験を受験した少年は、少し俯きながら呟いた。
 エドワード・エルリック、十二歳。
 試験場で大総統に刃を向けるという、暴挙とも思える行動に出たこの少年は、のっけから派手に、ある意味ちょっとした伝説を軍内部に作ってしまった。
 この軍事国家で軍の最高責任者といえば、つまり国内で最高の地位の者ということだ。その相手に手を出して、お咎め無しなど強運以外の何者でもない。
「宿はこちらで手配しよう。あとで送らせるから、しばらくは休みたまえ。」
「じゃあ、その間に、錬金術関係の本がある場所を教えてくれない?民間人でも入れる場所で。」
 途端にエドワードは勢いよく顔を上げて問い掛けた。
「おや、早速だな。」
「国家資格はまだ取れるかどうか分からないけど、それでもオレは、今できる範囲で手がかりを探したいんだ。」
 真っ直ぐで強い視線に、ロイは大したものだと思わず感心した。
 焔の付いた目。
 リゼンブール村で初めて出会った時とは大違いだ。
 あの時はもっと濁った目をしていた。全てを失い、絶望の底にいるような顔をしていた。
 そんな子供に可能性を示し、焔を付けたのは他ならぬロイ自身だ。
 不完全とはいえ人体の錬成を行い、魂の錬成まで成し遂げるほどの錬金術師を、こんな所で埋もれたままにしてしまうのは勿体無いと思ったからだ。
 人体錬成は最大の禁忌とされる。理由は様々だが、いざ実行するとなると大人でも危険な錬成で、理論を組み立てるだけでも相当の知識が必要だ。
 それを十歳そこそこの子供達が行った。
 死んだ母親にもう一度会いたい、ただその一心だけで。
 子供だからこそ躊躇いもなく禁忌に手を伸ばせたのかもしれない。
 だから尚のこと、柄にもなく必死で説得したのだろうか。
 まだ未来のある子供達に、こんな所で立ち止まっていてはいけない、と。
 ――それ以上に、己の出世に利用するという目的もあったのだが。
 内乱続きで軍も人手不足になっている時に優秀な錬金術師を軍に推薦すれば、当然その功績で自分の評価も上がる。割と手っ取り早い上への近道に繋がっているのだ。
 もっともその錬金術師が、まさか子供だとは思いもしなかったのだが。
 しかも変わり果てた母親を目の当たりにし、手足を失い、弟の身体も失い、その子供はすっかり生きる気力を失っていた。それでも元々芯の強い性格だったのだろう。ロイの話を聞いているうちに少しずつ目に光が戻り始めていた。
 そして、一年後。
 彼はたったひとりでロイの元を訪ねてきた。
 国家錬金術師となり、軍の狗と呼ばれながらも僅かな可能性を掴むために。
 失った手足は、代わりに機械鎧と呼ばれる義肢が付けられていた。
 装着時の手術やリハビリなどは大人でも悲鳴を上げるほどの苦痛があると聞くが、それを彼はどんな思いで乗り越えてきたのだろうか。
 少なくとも目の前で不敵な表情を浮かべる生意気そうな少年からは、ロイには想像できなかった。
「――なぁ大佐、どこか心当たりはない?」
 エドワードの声に、ロイははたと思考を戻した。
「錬金術関係の本か……」
 実のところ民間施設にはあまり資料はない。エドワードが読んで参考になりそうな本はと考えると、どうしても軍の施設になる。まだ民間人である彼には立ち入り許可も出せない場所だ。それ以外となると、個人所有の書庫くらいしかない。イーストシティにも何人か国家錬金術師がいたはずだ。
「やはり軍の施設か、後はこの街の錬金術師の蔵書くらいしかないね。どちらも私が今の君に閲覧許可を出すことはできないよ。」
「そっか…じゃあ古本屋とか探すしかないなー……」
 エドワードはガックリと肩を落とした。
「本屋ならいい店を教えられるよ。住所は……あぁ、」
 メモを書きかけた手を止め、唐突に、本当に気紛れに、ロイは思い付いた。
「ひとつだけ、許可の出せる書庫があったな。」
「ええぇっ!どこっどこっ?!」
 パッと顔を輝かせてエドワードが身を乗り出してくる。
「本当はあまり人を入れたくはないんだが……」
「どこだよそこっ。」
「君の探す手がかりにはあまりならなさそうだし……」
「いいから教えろよ!」
 心なしかわくわくとした表情でエドワードが見つめてくる。
 仕方なくロイは口を開いた。少しばかりの後悔と躊躇いを振り切って。
「…………私の家だよ。」





「そういえば…大佐も錬金術師だったんだっけ……」
 きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回しながら、エドワードはすっかりと感心していた。
「まぁ君なら記憶になくても無理はないけどね。一応私もそれなりに名の通る国家錬金術師だよ。」
 他人に見られたら困る物がないかどうかを、部屋を片付けるついでに確認しながらロイは言った。
「いいの?東方司令部の大佐様が、オレなんかを自宅に入れちゃって。」
「君に見られて困るような物は今片付けたよ。滞在中は他の場所に置いておく。元々あまり使ってない部屋だから問題ないだろう。」
「それにしてもすげー量……」
 エドワードは簡素な部屋に積まれた本の山に目をやった。
「えーと…『大気の構成』『建築学入門』『人体百科』『エネルギー革命と環境問題』『異性の口説き方100』?……あんた何の研究してんだよ。」
「まぁ色々とね。国家資格が取れれば君もいずれ知る機会があるよ。普通はそう簡単に自分の手の内は明かさないものだけどね。」
「へぇ。」
 エドワードの目的とする分野と方向が違うせいか、ロイの蔵書は見た事もない本ばかりだった。
「フレイア・ワイルドホース著『ときめきメモリー』『愛と友情の美青年攻撃』『恋の交換日記』…って、こんなのまで読むのかよ!」
 背表紙を読んでいたエドワードは突然顔を真っ赤にした。どう見ても大衆向けの恋愛小説だ。
「あぁ、それは私が書いた本だよ。日頃の研究成果を纏めた集大成だ。多分私以外の人間にはただの恋愛小説にしか見えないが。」
「えぇっ?!これが?!錬金術の研究書?!」
「そう簡単に手の内は明かさないと言っただろう。だから大抵の錬金術師は自分の研究内容を暗号化して、全く関係ない内容のようにカモフラージュしてしまうんだ。」
「うぇー……」
 エドワードは改めて1冊を手に取り、パラパラとページをめくった。やっぱり恋愛小説にしか見えない。しかもかなりハードな描写である。これが錬金術研究の暗号文だと言われても、どうすれば解読できるのか見当もつかない。
「まぁこの部屋は試験結果が出るまで君が使っていいから、その間に好きなだけ読みなさい。出かける時は必ず司令部に連絡してから鍵を閉めていくこと。合鍵はここに置いておくよ。」
「おいおい……そこまでオレにしてくれちゃっていいわけ?」
 いくらなんでも鍵まで渡すかふつー…とエドワードは半ば呆れる。
「構わないよ。どうせ近々引っ越す予定だったんだ。」
「あ、そう……」
 渡された合鍵を片手で弄りながら、エドワードはげんなりと溜息を吐いた。
「じゃあ私は司令部に戻るよ。これでも忙しいのでね。何かあったら必ずここに電話をすること。君の身柄はしばらく私が預かる事になっている。」
「あーいってらっしゃーい。オレは大佐の蔵書を見せてもらうよ。」
 ぱたぱたとおざなりに手を振りながら、早速エドワードの意識は本に集中していく。毎日読んでも読み切れない量の本だ。目的の手がかりは見つからなさそうだったが、どれも純粋に勉強になるような資料ばかりだった。
「……エドワード、」
 不意に、衝動に駆られて、思わずロイはエドワードの小さな肩を抱き締めた。
 どうしてだか分からないが急にそうしたくなったのだ。
 本を真剣に読みふけるエドワードの横顔が少し寂しそうだったのを、うっかり振り向いた拍子に見てしまったせいかもしれない。
「うわあああっ?!」
 驚いたエドワードは、派手な音を立てて持っていた本を取り落とした。
「何の、つもりだよっ……」
 そう言われた途端、ロイは自分の行動にただ苦笑するしかなかった。
 親を失い、保護者代わりの隣人が家族同然に世話をしてくれたとしても、やはり彼には甘えられる親もなく、たった一人の弟を守っていかなければならない事に変わりはないのだろう。それがどれだけ大変な事か。
 どんなに天才的な錬金術師でも、どんなに生意気そうに見えても。
 ――彼はまだ、十二歳の子供なのだ。
 理由なんてない。
 訳もなく無性に愛しさだけが込み上げてきて、急に抱き締めたくなった。
 ただ抱き締めてやりたかっただけなのに。
「――あぁ、そうだな。」
 そんな事をする資格などないと言われた気がした。
 血に塗れたこの手が、何を抱くと言うのだろう。
 絶望の底にいる子供でさえ利用してしまうような人間なのだ、自分は。
 いや、多分、もう人間ですらないのか。
 軍人であり、更には兵器と呼ばれる軍の狗でもあるのだから。
「理由なんてないよ、エドワード君。」
 言い訳のようにロイは呟く。
「あえて言うなら、これはサービスのつもりかな。客人である君への、ね。」
 今更こんな他人に同情して、優しくしてやるつもりだったのか。
(自分が進むために全てのものを利用する者が?)
 まったく己の偽善者ぶりには呆れるしかない。
「あんたに抱き付かれたって、生憎こっちは全然嬉しくないんだけどな。」
 ロイの腕の中で、エドワードは思い切り不機嫌そうな声を上げた。
「まぁ、結局はただの自己満足でしかないのだけどね。」
「何だよそれ……」
「ははは、意外と手厳しいな君は。流石私が見込んだだけの事はある。」
 くしゃくしゃとエドワードの金髪を撫でてから、ロイは最後にもう一度だけ腕に力を込めて、放した。
 まだ腕に残る体温が名残惜しいような気がした。
「安心したまえ。こんな大判振る舞いはもう二度としないよ。」
 ゆっくりと立ち上がると、ロイはエドワードを見下ろして微笑む。
 金色の双眸が真っ直ぐにこちらを睨んでいた。
(そう、それでいい。)
 今更優しくなんてして、彼に懐かれたところで何になるというのか。
 彼が国家錬金術師になってしまえば、軍属にはなっても軍人になる気はないエドワードなど、ロイにはもう利用価値はあまりない。たとえ試験に落ちたとしても、また別の錬金術師を探して推薦すればいい。
 後は、自分の道を真っ直ぐ進んでいくだけだ。おそらく、二度と交わる事はないはずの、互いの道を。
「まぁがんばりたまえ。死なない程度にな。」
 ポン、ともう一度だけエドワードの肩を叩くと、ロイは部屋を後にした。





 ロイが出て行った部屋で、エドワードはひとり膝を抱えて座り込んでいた。
 本を読む気など、きれいにどこかへ飛んでいってしまった。
「なんだよ……」
 ぎゅ、と自分の身体を抱き締める。
 頭を撫でられた時の手の感触や、背中に回された腕の力強さが、何故か妙にはっきりと残っていた。母親のそれとは全く違う。もちろん、弟とも違う。
「ちきしょう、なんでこんな時にあいつが出てくるんだよっ……」
 憎々しげに呟きながら顔を膝に埋める。
 とうの昔に顔なんか忘れたはずなのに。
(クソ親父め…)
 ふらりと旅に出たきり、母親の葬式にすら戻ってこなかった父親。
 父親の事ばかり思い続けて、遠くを見ては寂しそうにしていた母の横顔。
 日々の無理が祟り、流行病に倒れて逝ってしまった母親。
 あんなに力強く抱き締められた事など、今まで一度だってなかった。
 あんなに激しい焔を秘めた人になんて、今まで会った事もなかった。
 はじめてだったのだ。
 父親、というものに重なるような存在は。
 それでも「もし親父がいたらこんな感じなのかな」といった想像は不思議と浮かんでこない。これも初めて覚える感情だった。
「あの大佐、やっぱなんかムカつく……」
 どうしようもない重苦しさを感じながら、エドワードは小さく呟く。
 今になって急に、初めてロイと出会った時の事を思い出してしまう。
 あの時に、前に進むと決めたはずなのに。
 もう一度あの腕に抱き締めて欲しい。気付けばそんな事まで考えている自分がいる。こんな感情は初めてだった。
「なんで…なんでだよっ……!」



 抱き締められた感触が、まだ消えずに残っていた。





何かに目覚めそうになってるエドさん。

(2004年10月03日)

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