茨の海




 ――悲鳴。
 自分の叫び声で目が覚めた。
 微かに血の匂いを嗅いだ気がした。
 辺りを見回す。だいぶ見慣れてきた自分の部屋。
 大丈夫。あれは夢。
 自分の心から生まれた、あしきゆめが見せる夢。
 溜息を吐きながら、速水はのろのろと起き上がった。
 目を閉じる。
 血の海に横たわる彼の姿が浮かぶ。
(あれは、夢だ…)
 鏡に映る自分を見る。
「……あいつは死んだりしない。」
 いつものように、にっこりと笑ってみる。
 誰も死んだりしない。大丈夫。
 あれは夢。
 現実になんてさせない。
 そのために自分はここにいるのだから。

「だって決めたんだ……君を守るって。」

 自分で口に出してみて、少し可笑しくなった。
 鏡に向かって何を言っているんだろう。
 その決意は確かに本気だけど。
(さて、サンドイッチでも作ろうかな…)
 訓練とか仕事とか。今日もやるべきことはたくさんある。
 あの悪夢を、現実にさせないために。





「……なぁ、」
 その日は珍しく向こうから話し掛けてきた。
 邪魔をしてはいけないと、仕事時間中はなるべく声を掛けないようにしていたのだが。
「何?」
 作業の手を止めて振り返る。いつもと変わらない笑顔で。
 後ろには、いつになく真剣な表情の滝川が立っていた。
 彼は戦車学校に来て最初の友人だった。
 小隊の戦車兵で男子といえば速水と滝川だけだったから、いつの間にか自然と仲良くなっていた。部隊編成になって友達と呼べる仲間が増えた今でも、やはり速水にとって一番の親友である。
「どうしたの、そんな顔して。」
 普段なら元気の良い笑顔で、子犬のようにじゃれついてくるのに。
「…………」
 何となく、気まずい間。
「そ、そうだ、後で一緒に訓練しない?最近は運動力が落ちるの早くって」
 場の雰囲気を変えるつもりで提案してみる。
 仕事時間の後は二人で鉄棒にぶら下がって運動力訓練。最近の速水の日課だ。
「…………」
「滝川?」
 様子がおかしい。
 体調でも崩したのかと額に手を伸ばす。滝川は一瞬ビクリと体を強張らせ、逃げるように一歩下がった。
 速水の手が宙に止まる。
「―――あのさ、」
 恐る恐るという感じで、やっと滝川が口を開いた。
「なんだかさ、お前…幻獣を殺すたびに人間じゃなくなっていくみたいでさ、」
 怖い、と。
 そう言って、表情を隠すように俯く。
「…いや、悪ぃ。ただ、そう思ったんだよ。」
 一瞬何を言っているのか理解できなかった。が、すぐに思い当たる。
(あれ、の所為か……)
 黄金剣翼突撃勲章。
 アルガナとも呼ばれるそれは、累計撃墜数150体で与えられる。
 人と化物との境界線。
「戦ってる最中…お前、嬉しそうに笑っているように見えた時があってさ。
 きっと見間違いだろうけど、それからなんだ…」
 額に手を当てて顔を横に向ける。気分が落ち込んでる時によくやる彼の癖だ。
「…なにか、お前…いや、あんたが、敵を殺すたびに、俺なんか話にならないくらい強いことに気付かされる。
 俺は、幻獣より恐い人の肩を、それと知らず叩いていたのかもって…」
 そこで滝川は顔を上げた。
 紫色に揺れる瞳が、速水の方を真っ直ぐに見る。
「その調子で殺し続けて、勲章貰いつづけて、人類最高の絢爛舞踏章を取って…それで…それで…あんた、一体何になるんだよ?」
 ――答えられなかった。
 呆然としたまま、ただ黙って彼の方を見るしかなかった。
「いや、あんたには何度も命助けてもらってる。俺だって分かってる、あんたが居なきゃ、俺はとっくに死んじまってる…。
 でもさ、なぜだか最近、あんたの近くに居ると恐いんだよ。あんたは笑うけど、次の瞬間には笑ったまま、俺を殺せる…って。」
 それだけ言うと、また滝川は顔を伏せた。
「…悪い…怒らないでくれよ。」
 速水には、何も言えなかった。
 いつものように笑ってみせる事さえ許されない気がした。
 ――アルガナ勲章。
 それを受け取った時、正直言って最初はあまり実感がなかった。
 何しろパイロットとして実戦配備になってから、まだ1ヵ月くらいしか経っていないし、戦闘中は目の前の敵を倒すことで精一杯だったから。
 まだ死にたくなかったし、仲間の死を見るのも嫌だった。
 時折見る悪夢を思い出す。
 明日どころか、今日いますぐでも現実に起こりかねない場面。
 廃墟と化した戦場。目の前に横たわる誰か。
 ウォードレスから流れる人工血液が、周囲に白い血の池を作ってて。
 腕に抱きかかえながら、自分はそいつの名前を叫んでいる。
 ――滝川、と。
 冷たくなっていく体。血を吐きながら、それでも彼は笑う。
 何度その場面を見ただろう。
 何度自分の絶叫で目を覚ましただろう。
 その悪夢を見る度に、必死で戦った。
 今日も仲間と共に生き残れたと思う度にホッとする。
 勲章は、単にその結果でしかない。
 撃墜数が増えただけで貰える勲章など、速水には全くどうでもいい代物だった。それはこの先も変わらない。まして人類の規格外と言われる絢爛舞踏章など、興味もなかった。
 自分達は捨て駒として集められた学兵に過ぎない。戦わなければ死ぬ。
 クラスメイトが、恋人が親友が……あるいは自分が、次々と戦場で死んでいく。
 想像などしたくもないのに、絶望的な結末が幾つも見える。
 繰り返される悪夢。
 時々どちらが現実なのか分からなくなる。それほど妙に生々しい実感があった。
 最初は戦争なんてどうでも良かった。徴兵に応じたのも成り行きだった。戦車兵を志願したのも、どうせなら少しでも生存率の高い方に……という程度だった。
 そんな自分を出会いが変えた。
 戦車学校で滝川に話し掛けられ、初めて親友と呼べる存在ができた。
 そして小隊の仲間……大切な戦友たち。
 気付いたら、自分にとってかけがえのない存在になっていた。みんなを大好きになっていた。
 ――誰にも死んでほしくない。もちろん、自分が死ぬのも嫌だ。
 だから、あしきゆめと戦う事を決めた。
 それだけだった。
 大切なものを守るために戦う。その為なら自分はどんな事でもやってのけるだろう。
 そう思った瞬間から、何となく予感はしていた。いつかこうなる時が来ると。

「あんたは俺達と住む世界が違うんだよ。」

 滝川の声が、ひどく遠くに感じられた。

「……そうだね。」
 小さく、けれども迷いの無い声で、ようやく速水は答えた。
 驚いたように滝川が顔を上げる。
「――このまま戦い続けたら、いずれは絢爛舞踏章だって取れるだろうね。
 その時には、もう人間とは呼べない存在になっているかもしれない。」
 守るために、戦い続ける。
 それは誰に頼まれたわけでもなく、自分の意志で決めた事だ。
 自分が全てを失うことで、大切な者を守れるのならば。
「…でも、僕は僕だよ。他の何にもならない。
 誰に何と言われたって、たとえ絢爛舞踏章を取ったって、それだけは変わらない。」
 特別な力があるわけではない。普通だとは言わないが、第6世代としての能力は標準的な方だ。
 そこから、未来を変えるための努力を重ねていく。
 結果、化物と呼ばれても、住む世界が違うと言われても、後悔はしない。
「君の事も、ずっと大切な親友だと思っているし。」
 自分の事はどうでもいい。自分が戦って、それで彼が幸せになれればそれでいい。自分の知らないどこかで笑っていてくれればいい。
「…………」
 滝川は無言のまま顔を伏せた。
「ほら、そんな辛そうな表情しないでよ。
 …そりゃ少しショックだったけど、別に怒ったりはしてないからさ。ね?」
 彼には笑っていてほしい。その笑顔を見るだけで、たぶん自分は救われる。
 滝川はまだ俯いたままだった。その肩を叩こうとして、止める。
 二人の僅かな距離が遠かった。
 誰よりも大切な存在。
 でも、もう手を伸ばすことはできない。近づくことはできない。
 大好きだよと言って抱き締めることもできない。
 後悔は無い。
 ただどうしようもなく寂しかった。
「……ゴメン。」
 それだけ言って、速水はその場を後にする。階段を降りる足音が、カンカンとやけに冷たく響く。
 後ろから微かに泣き声が聞こえた。





 その選択が正しいのかどうかは分からない。
 ただ、大切なものを守るために自分は全てを失ったのだと、この時改めて実感した。








 その瞬間、左腕に激痛が走った。
 オペレーターが被弾による被害報告を送ってくる。大丈夫かと訊ねる声に、何とか笑って応答を返す。
 ……大丈夫、まだ戦える。こんな痛みは大した事ない。
「このままジャンプで突っ込む。ミサイルの用意を。」
 後ろの砲手席にそれだけ言うと、速水はコマンドを打ち込んで前を見た。
 すぐ目の前でゴルゴーンがこちらを狙っていた。
 次の攻撃が来る前に、歪んだ人型をした騎魂号は宙に舞う。飛び越えて、更に敵が密集している所へ着地する。ゴルゴーンの放ったレーザーは虚空を薙いでいった。
 すかさず、そこにいたミノタウロスに連射を浴びせ、右に飛ぶ。俗に士魂号複座型と言われるその機体を、速水は自分の体を動かすように操っていた。
 人吉戦区防衛戦。
 ビルの多い市街地も、今は硝煙の匂いが漂う戦場と化している。
 遠くに聞こえる銃声、撃たれては散っていく友軍兵士の悲鳴。そこに吹き抜ける風さえ、肌で感じ取る事ができた。装甲と人工筋肉の中にある操縦席にいるとは思えない位に。
 速水の機体はミサイルの発射準備に入った。
 盾で防御しつつ、狙いをつけて慎重に照準を合わせる。発射までの時間は長くなってしまうが、そう何度も使えない必殺技をむざむざ外してしまうよりはずっといい。
 その間にも、複座型の周囲には敵が集まってくる。射線妨害の多い市街地だから撃ってくる敵は少ないが、接近戦を得意とするミノタウロスなどはあっという間に近づいてくる。繰り出されるパンチを盾で防ぎながら、速水は祈るような気持ちでミサイルの発射を待つ。
 すぐ側で、大きな爆発音がした。
 反射的に音のした方向を振り向く。軽装甲の二番機が、スキュラの爆撃を食らっていた。
「――滝川っ?!」
 悲鳴に近い叫びがパイロットの名を呼んでいた。
 オペレーターの報告が聞こえる。神経接続性能低下、火器管制故障。耐久力が大幅に下がっている。背筋が凍りつきそうになりながら見れば、右肩の装甲がやられて人工筋肉が剥き出しになっていた。射撃系の武器はもう使えそうにない。
 速水の脳裏に、いつか見た悪夢が浮かんだ。
 廃墟と化した市街地と、そこに広がる血の海と。
(まだ間に合う……あれは夢なんだから。)
 思い出しそうになった光景を慌てて頭を振って追い払う。
「滝川?…大丈夫?」
『…ん、何とか。』
 いってーなぁー、とぼやきながら返ってきた答えに、速水は心の底から安堵する。
「今からミサイル出すから。」
『りょーかいっ。』
 短いやりとりを交わしつつ、滝川機は左手に装備していた超硬度大太刀を構えた。
 同時に、複座の背中からミサイルが放たれる。
 誘導式で射程内の敵を一斉に攻撃できるそれは、周囲にいた敵を次々と撃破していく。十数体のミノタウロスやゴルゴーンが一瞬で跡形もなく消えていった。
 続いて滝川機が目の前のスキュラを太刀で突く。先のミサイルで大きなダメージを受けた空中要塞は、その一突きで幻のように消滅した。
『……敵が撤退を開始した。これより掃討作戦に入る。』
 司令官からの連絡が聞こえた。
 残り数体となった敵幻獣が次々と退いて行く。もちろん、それを全部逃がすつもりはない。
 追うように速水は駆け出した。
 弾倉交換をする間もなく、太刀を抜いて後ろから斬り付けていく。また何体かの幻獣が、その名の通りに幻となって消滅する。
 ――速水は、自分が笑っている事に気付いた。
 いくら化け物が相手だからといって、自分は笑みを浮かべながら敵を殺していたのか。
 その事実に、思わず複座の動きが止まった。
(戦う事が、楽しいと思うようになってきた?)
 そんな事はない、と慌てて頭を振る。そんな事があっていいはずがない。
 自分達は戦争をしているのだから。
 でも。
(僕達は、戦うために生まれてきた。)
 もうひとつの事実が心を縛る。
 戦争のためだけに生み出された、本来の人間とは別の生き物。
 それは今の人類の姿だけど、果たしてあの化け物たちとどれほどの違いがあるというのだろう。
 人を殺すためだけにうまれてくる、幻のような敵と。

 呆然と立ち尽くす速水の前で、最後の幻獣が撤退していった。





「…お疲れ様。とにかく皆無事で良かったわ。」
 整備主任が出迎える補給車に戻り、戦闘後の片付けが始まった。
 戦場や小隊の被害状況、行方不明者の捜索に戦死者の確認。戦闘自体はあっという間に終わっても、結局それだけで帰宅できるのは深夜になってしまう。夜に出撃がかかれば、明け方近くに帰る事さえあった。
 速水はハンガーに格納された機体を見上げた。
 複座の三番機は被弾で多少の性能低下があったものの、幸い故障には至らなかった。念のために明日にはちゃんとテストしておこうと、速水はぼんやり考えてみる。
 片付けに追われる整備員の声が飛び交って、深夜だというのにハンガーの中は活気があった。
 その中で、こちらに向けられている視線にふと気付く。
 滝川だった。
 目の合った時に速水が笑顔を見せると、一瞬躊躇ってから笑い返して、小さく手を振りながら歩いて行った。着替えに行くのだろう。速水も後を追う。
「おつかれさま。」
 声を掛けると、滝川は足を止めてこちらを振り向いた。
「……?どうしたの?」
 怪訝そうな顔で見つめてくる滝川に、速水は首を傾げる。
「あ…いや、何でもねぇ。」
 ふるふると頭を振ると、滝川はいつものように笑って見せた。
 二人は並んで歩き出す。
 笑っていた顔が急に曇り始めた。
「…あのさ、」
「ん?なぁに?」
「……いや、やっぱいいや。」
「急にどうしたの?」
「だから何でもないって。」
 変なの、と速水は笑った。
 ウォードレスからいつもの制服に着替えると、一面の星空を眺めながら家路につく。
 灯火管制が敷かれているおかげで街明かりは殆どなく、晴れた日は数え切れないほど沢山の星が見える。戦時中に不謹慎だと思いつつも、やっぱり綺麗だと素直に思った。
「明日も、出撃あるのかな。」
 どぶ川沿いの道を歩きながら滝川が呟いた。
「…戦況はまだ膠着状態だから、どうだろう。」
 何気なく速水が答えると、そっか、と小さな溜息が聞こえた。
 薄暗い街灯の下で、滝川は俯いたまま微笑っていた。
「やだなぁ、どうしちゃったのさ。」
 努めて明るい声でポンと肩を叩くと、ぎこちない表情のまま滝川が顔を上げる。
「前はあんなに『ヒーローになってやるんだ』って張り切ってたじゃないか。
 ほら、そんなに暗い顔してないで。」
 自分よりほんの少しだけ高い位置にある頭に手を伸ばす。
「大丈夫だよ、今日だって何とか勝っただろ。滝川なんかスキュラ二体も落として大活躍だったじゃない。」
 速水はにっこり笑うと、やや固めの髪をわしわしと掻き撫でてやった。
「そう…だよな。」
 慰められたのがカッコ悪いと思ったのか、滝川は照れくさそうな笑顔を見せた。
「こんな事を気にしてる場合じゃねぇよな。よーし、やるかぁ!」
 つい先刻までの暗い顔が嘘のように吹き飛んでいく。目まぐるしく変わる滝川の表情に、速水は半分呆れながらもどこかでホッとしている事に気付いた。
「よっしゃ、今度の日曜はみんなで遊びに行くぞー!!」
「……仕事するんじゃないの?」
「気分転換だよ、気分転換っ。」
 ニッと笑って滝川は速水の肩をバシッと叩く。屈託のない笑顔に、思わず速水の表情も綻んだ。
 ――この笑顔に、何時の間にか惹かれてる自分がいる。
 速水の中にひとつの答えが浮かんだ。
(それならば、僕はいくらでも戦ってみせる。)
 化け物を殺すのが楽しい訳じゃない。数え切れない学兵たちが使い捨てのように散っていく中、大切な者と共に生き残れる事が嬉しいだけ。
 今、当たり前のように目の前で笑っている友人の、その笑顔を守るためなら。
 自分は全てを投げ出してでも戦い続けよう。戦場を駆け抜け、それこそ息をするように幻獣を殺すという絢爛舞踏のように。
 化け物と呼ばれても構わない。世界を敵に回したっていい。
 自分の知らないどこかで、それでも彼が笑っていられる世界になるのなら。
「――僕も頑張らないとね。」
 じゃあな、と手を振って走っていく後姿を見つめながら、速水は小さく呟いた。





 速水が黄金剣翼突撃勲章を受け取ったのは、それから数日後の事だった。





過去の悪夢を繰り返すまいとがんばった結果があのアルカナイベントだよ!というショックで以下略。

(2002年11月10日)

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