眩暈
目を開けたら、真っ白な天井が見えた。
仄かに消毒液の匂いがする。左腕には点滴の針が刺さっていた。何時の間にか検査用の服に着替えさせられている事に気付き、速水は思わず顔を顰めた。嫌な過去を思い出しそうになる。
(……何故こんな所にいるんだろう?)
ぼんやりと考えて、思い出す。
味方の撤退を援護するために戦場に残り、手酷く被弾したんだっけ。
最後に見たものはスキュラの赤い目だった。その先は覚えていない。
(あぁでも、誰かが呼んでいたような気がする。)
誰の声だったんだろう。とても良く知っている筈なのに思い出せない。
とにかく左腕の針を引っこ抜く。起き上がろうとして、速水は初めてベッドの横に人がいた事に気付いた。ずっと付き添ってくれていたのだろうか。布団の上に突っ伏したまま眠ってしまった様子だ。
「――速水?」
気配を察知したのか、身体を動かした瞬間に目を覚ます。
薄暗い中でもはっきりと分かる。薄紫がかった大きな瞳が、こちらを覗き込んでいた。
何か言わなければと、速水が言葉を探す前に向こうから飛び付いてきた。
「…っ、ばかやろー!みんなすっげー心配したんだぞ!!」
速水の身体は再びベッドの中に沈められた。
「うわっ?!」
「だいたい何で一人で勝手に無茶するんだよっ!お前がっ、お前に……っ、」
凄い勢いで続いていた言葉が、そこで途切れた。
「お前に、なんかあったら…俺っ……」
速水の肩口に顔を埋めたまま消えそうな声で呟く。
ひょっとしたら、泣いているのかもしれなかった。
「滝川……」
右腕を背中に回して名前を呼ぶ。少し乱れた髪を撫でてやって。
「……ごめん。」
素直に謝ると、抱き付いていた腕が少し強くなった。
「だって、君が死ぬのは、見たくなかったから。」
それは紛れもない本心。
「毎晩のように夢に出て来るんだよ。死にたくないって、君の声が。」
あの悪夢が、夢のままで終わるなら。彼の笑顔が守れるなら。自分はいくらでも戦えると思った。
「――馬鹿野郎。」
滝川は小さな声で言い返した。
「そんな簡単に、俺が死ぬわけないだろ。皆で戦ってるんだから。」
彼が顔を上げる。
「だからさ、お前も一人で戦おうなんて考えるなよ……それに、俺だって、」
少し俯いて言葉を切る。顔が少し紅かった。
「俺だって、お前がいなくなるのは、嫌だから。」
速水は驚いたように彼の顔を見上げた。
「お前が何だって、いいから。だから、勝手にいなくなったりするなよ……」
そこまで言うと、滝川は真っ直ぐに速水の目を見た。今までに見たこともない、静かな表情で。
「みんなで、一緒に生き残るために戦ってるんだろ。」
仲間を失いたくない気持ちは、自分だけのものではない。
自分が戦ってきたように、他の皆も戦っている。戦友は、共に戦うから戦友なのであって、決してただ守られているばかりの存在ではない。
「……うん。」
少なくともここに一人、自分が死んだら悲しむ人がいる。
ひとりじゃない。
ただそれだけの事が嬉しくて、くすぐったい気分だった。
「ありがとう。」
速水がそう言うと、小さく「…バカ」と返された。
「ほ、ほらっ。お前いちおう怪我人なんだからっ、もう一回ちゃんと休んどけよっ。」
慌てたように起き上がると、滝川は頬を染めながら布団を掛け直した。
「――そうだ、滝川、」
離れていこうとする腕を掴む。ぐいっ、とそのまま引き寄せて。
「な、なんだよ急に……」
すぐ目の前まで近づけられた顔に、速水は躊躇いもなく口付けた。
「…………!!」
一瞬硬直した後、すぐにじたばたともがき始める滝川。何か言おうとして口を開きかける。
その隙を見逃さずに、速水はちゃっかりと舌を差し入れた。何度か角度を変えて舌を絡ませるうちに諦めたのか滝川はすっかり大人しくなって、後はされるがままになっていた。
それからしばらく経って、ようやく顔を離す。
「……あ…あの…、あのさ……」
何を言うべきかと口をぱくぱくさせながら、滝川は俯いた。
「――おやすみなさいのキス。」
速水はにっこりと笑った。
「なっ、何言ってんだよお前っ……」
ますます顔を真っ赤にする様子がおかしくて、思わず速水は吹き出した。
「なんだよっ、こっちは真剣に心配してたのにっ!」
「あはは、ごめん。」
滝川はすっかり膨れていた。
「じゃあ、やってもいいかな?」
さわ、と頬を撫でながら耳元で囁く。ついでに軽く息を吹きかけてやったら、ビクリと滝川の肩が跳ねた。
「や、やるって……何を。」
思い切り動揺した声でおそるおそる訊ねる。
「今の続き。色々とね。」
「お前…いったい何考えてんだよ……」
滝川は、呆れた。
「うーん……じゃあ、明日仕事が終わったら。それならいいでしょ?」
ちょっと小首を傾げて見上げてみる。
「……………………」
滝川は複雑そうな表情で何か考え込んでいるようだった。
「……出撃がなかったらな。」
かなりの間をおいてから、そう言ってそっぽを向いた。頬が紅い。
出撃なんてあったら司令の配置換えを陳情してやろう、と速水はこっそり考える。
「じゃ、じゃあ、俺、もう行くから……」
真っ赤な顔のままその場を離れようとして、ふと思い出したように滝川が顔を近づけてくる。
「……? どうしたの?」
じいっ、と真剣な表情で見つめた後、おもむろに唇を重ねてきた。
「ん……んん…っ……?!」
先程速水がやった事を、そっくりそのまま返される。散々口の中を弄られて、ようやく離れた頃には息もつけない状態だった。
「ほら、おやすみのキスってやつ。今度こそ、ちゃんと寝ろよ。」
まだ呆然としている顔に満足したのか、ニッと笑いながら速水の肩を叩く。
「そんじゃ、また明日なーっ!」
パタパタと滝川が部屋を出て行く。悪戯が成功した時のような笑顔がちらりと見えた。
「――ず、ずるいよ!」
ドアの閉まった数秒後、ベッドの上で真っ赤になって叫ぶ速水だけが残された。
夜が明けたら、いつも通りの朝が来て、いつも通りに登校する。
学校で滝川に会うのが楽しみだった。思い切り仕返ししてやって、ちゃんと『心配してくれてありがとう』と言いたかった。
(そういえば、久し振りに滝川の笑顔を見たような気がする。)
しばらく経ってから気が付いて、速水は何となく幸せな気分になった。
「うわぁーっ!」
全身を駆け巡る衝撃と激痛に、速水は悲鳴を上げていた。
『速水機、被弾により反応速度低下、操縦系統故障!』
オペレーターの報告に唇を噛む。
戦況は、かなり悪かった。
三月に鹿児島と宮崎が落ち、4月に入ってから福岡も陥落した。それから間もなくして、幻獣側は絶望的な数を投入し、人類はかなり不利な立場に追い込まれていた。
今年の自然休戦期までに政府が九州放棄を決めるのも、時間の問題だった。わずかな戦力で抵抗を続けていた小隊が次々と全滅し、戦況報告のマップが真っ赤に塗り潰されていく。
水俣戦区もそうした地域のひとつだった。
人類勢力などとうに消えている。唯一、遊撃部隊として各地を転戦する5121部隊だけが、今この地域を少しでも叩ける人類戦力だった。それでも、一小隊の戦力などたかが知れている。一応他の部隊よりは高い戦力を誇っているものの、戦力比は敵のほぼ半分でしかない。
『…俺だ。委員長。悪いが、しんがりを頼む。』
司令部からの通信が聞こえてくる。独特な言い回しの多い上官が、撤退命令を伝える時の台詞だった。この戦況では致し方ないか、と速水はぼんやり思った。
「何をしている。味方の撤退を援護するぞ。」
後ろから声がする。複座型の砲手席を担当する芝村舞の声だ。
「――了解。右に飛ぶよ。」
次の瞬間、機体はビルを飛び越えて宙に舞う。
最前線に出て敵の注意を一点に引き付けて、ミサイル。しっかりと狙いをつけていても、敵はなかなか倒れてくれない。こちらの攻撃力が低いのではなく、向こうの耐久力が高すぎるのだ。
「スキュラ3、ミノタウロス4、きたかぜゾンビが1。ミサイルじゃやっぱだめか。」
戦術画面で残った敵の数を確認する。
「きたかぜゾンビはミサイルで倒せてるんだけどなぁ……」
それだけでミノタウロス以上の敵を仕留めるのは難しい。特にスキュラは空中要塞とまで言われており、その攻撃力と耐久力の高さは幻獣軍の切り札となっていた。弱点といえば動きが鈍い事だが、レーザーの射程距離はかなり長い。
「指揮車が狙われてる……敵の目を逸らさないと。」
速水は再び飛んだ。撤退が遅れている指揮車の前に立ち塞がる。執拗に追いかけていたきたかぜゾンビの動きが止まり……こちらへ近づいてきた。
――次の瞬間。
「うわあぁーっ!!」
凄まじい衝撃が全身を襲った。神経接続低下、運動性能故障。オペレーターが報告を送ってくる。今度攻撃を受けたら機体がやられるな、と速水は思った。
ジャイアントアサルトが火を吹く。目の前のきたかぜゾンビが落下して跡形もなく消えた。
『壬生屋機、滝川機、撤退。』
聞こえてくる撤退状況の報告に、速水は心から安堵する。良かった。二番機パイロットの親友はとりあえず無事だったらしい。
ホッとしたのも束の間に、再び衝撃と激痛が走った。
(しまった……!)
きたかぜゾンビに連射を浴びせている間に、目の前にミノタウロスが迫っていたのを見逃していた。ミノタウロスの最大の武器は、何よりも接近戦でのパンチだ。そのため両手が棍棒のように固く肥大化している。今の状態の複座では耐えられるはずもなかった。
脱出装置が働き、速水たちはコクピットから放り出される。
『速水機、ミノタウロスにやられました!』
『何やってんだよ速水!早く逃げろ!』
オペレーターの声に混じって怒鳴り声が聞こえる。滝川の声だ。
「……ごめん。でも、」
速水は前を見る。
「どうやら簡単には逃げられないみたいだ……」
スキュラの赤い目からレーザーが放たれた。咄嗟に身体を捻り、ギリギリのところで攻撃を回避する。熱線がすぐ側を通過し、地面を薙いだ。
ウォードレスを着ているとはいえ、生身ではかなり機動力が落ちる。マトモに逃げても振り切るのは難しく、格好の的にされるだけなのは目に見えていた。
「武器は……これだけか。」
右手に超硬度カトラスを構える。最悪の事態を想定して持っていたものだった。いわゆる、剣というやつである。超硬度大太刀のウォードレス用みたいなものだ。威力が高く弾倉交換の心配もいらないが、射程は短かいのでなり接近しなければ攻撃できない。
「――逃げて!早く!!」
すぐ側にいた芝村舞に一言叫ぶと、速水は左に走った。振り切って逃げるのは難しいが、射角を逸らすように逃げることなら可能だ。ジグザグに動きながら、少しずつ敵に接近していく。
(あと少し……)
ビルの陰に隠れ、乱れる呼吸を軽く整える。射線妨害があるから、ここならスキュラといえども攻撃できない。
……と思っていたら、突然ビルの壁越しにミノタウロスのパンチが襲った。砕けたコンクリートの破片と一緒に、速水の身体もあっさり吹き飛ばされる。
「くっ……!」
何とか起き上がって走り出す。飛ぶようにビルの壁を昇り、上から一気に飛び降りた。そのまま、重力に任せてカトラスを突き立てる。着地して、もう一度斬りつける。剣術の心得はなかったが、これでも決定打にはなったらしく、ミノタウロスが目の前で消滅した。すぐに右前方に走り、別のミノタウロスの横に回りこむ。
剣で突いて、常に敵の側面に回りこめるように移動する。敵を倒すことより、敵の攻撃範囲に入らないよう確実に逃げる方が先だった。
あと何体残っているかなど、もう数える余裕もなかった。
ただひらすらに逃げ回り、隙をついては攻撃。時折、滝川たちが何か叫んでいるのが聞こえたが、何を言っているのか考えている暇はなかった。
そうしている間に、また何度目かの衝撃が速水を吹き飛ばした。
(スキュラの爆撃か……!)
この空中要塞のもうひとつの武器だ。至近距離からの爆撃はミノタウロスのパンチ並の威力を誇る。射程が極端に短い分、射角は異様に広いので多少の移動では回避しきれない。
立ち上がろうとして、足元がふらついた。白い人工血液に混じり、自分の真っ赤な血が地面に滴り落ちた。ウォードレスの耐久力がかなり落ちている。
今度こそ、あと一回でも攻撃されたら間違いなく死ぬだろう。
(ここまでか……)
不思議と恐怖は感じなかった。自分が生きたいという気持ちより、大切な仲間が無事であればいいと思う方が強かった。
二度と会えなくてもいい。自分の知らない世界で、それでも滝川が笑って生きててくれるなら。
カトラスを握りしめ、霞み始めた視界にスキュラの姿を捕らえる。
不気味に光る赤い目がこちらを見た。最後の力を振り絞って速水は跳んだ。強化人工筋肉が音を立てて軋み、スキュラの頭上まで一気に跳躍する。
「うああぁ――!!」
ふよふよと浮かんでいた空中要塞の目にカトラスの刃を突き刺す。次の瞬間、凄まじい光とともにスキュラが爆発した。衝撃波で速水の身体が地面に叩き付けられる。
『速水機、スキュラを撃破……』
ノイズの混じったオペレーターの声が遠くに聞こえる。もう目を開けていることさえできない。
寒気がする。出血が相当酷いのだろう。意識が次第に遠のいていく。
(滝川……みんな……)
どうか死なないで。生きて、平和な世界を作って。
――速水の意識は、そこで途切れた。
撤退戦≒殲滅戦ひゃっほい☆とかやってたら死にかけました(プレイ中の実話)。
まさか絢爛舞踏も楽勝になった頃に運命の友たちに叫ばれるとは。まだまだ戦術が足りません…。
戦闘に目覚めると太刀戦が楽しくなったり、互尊戦車兵型とカトラスとキックでスキュラを落とすのが快感になってきますね。
そんな心境が戦闘シーンの描写に反映されている…かもしれない。
(2003年08月23日)